青地茂綱(あおち-しげつな) 近江〔与〕


?〜元亀元年(1570年)9月20日

駿河守。蒲生定秀の二男で賢秀の弟。青地道徹の養子になる。栗太郡青地を本拠とし、六角氏に仕えた。

『栗太志』に載った、永禄6年(1563年)2月11日付の着到状によると、率いた兵は1500騎を超えている。同10年4月に制定された『六角氏式目』では、連署者20人の中に名を連ねている。

信長に属したのは、同11年9月だろう。翌年8月、旧六角氏の将と共に大河内城攻めに参加。元亀元年(1570年)9月20日、守可成らと共に宇佐山城に朝倉・浅井軍を迎え討ち、敗死した。

死後の10月6日、その功が認められ、息男千世寿(元珍)に領知及び与力が安堵された。

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織田信長家臣団 ア行